大阪家庭裁判所 昭和54年(少)1963号 決定 1979年3月30日
少年 D・S(昭三五・五・一七生)
N・S(昭三六・一・二一生)
Y・N(昭三七・三・一七生)
D・K(昭三六・七・一九生)
右各少年に対する暴力行為等処罰に関する法律違反保護事件について、当裁判所は、附添人○○○○(D・S、N・S、D・K少年関係)、同○○○○(D・S、N・S少年関係)、同○○○(Y・N、D・K少年関係)、出席のうえ審理をとげ次のとおり決定する。なお、当裁判所は後記調査、審判の経過に鑑み、極めて例外であるが上記各少年につき共通の決定書を作成するものである。
主文
上記各少年らを保護処分に付さない。
理由
1 審判及び調査の経過
上記各少年らは、非行事実につきいずれも否認したので、当裁判所は先ず非行事実について審理をとげるため、各少年に対する社会調査を中断し、審判を開始した。そして、各少年について証拠関係が共通であるので、D・S、N・S、Y・N各少年については、昭和五四年三月一二日の審判で各本人の陳述を聴取した後、上記三少年につき併合して審理する旨決定し、D・K少年については、同月二三日の審判で本人の陳述を聴取し、証人Aを取調べた後D・S、N・S、Y・N少年と併合して審理する旨決定した。
なお、当裁判所は職権で証人としてB、C、D、Y・T子、E、F、G、Aを各取調べ、E、F、G各少年の昭和五四年少第二〇一八号~二〇二〇号各暴力行為等処罰に関する保護事件(以下E少年らの記録という)の押収物たる紺色戦闘ズボン一着(昭和五四年押第二七二号の一)、紺色戦闘服上衣一着(同年同号の二)、十手一本(同年同号の三)、特殊警棒一本(同年同号の四)を各取調べ、同記録中のEの各司法警察員に対する同年二月二六日付、同年三月一日付各供述調書、Fの司法警察員に対する同年二月一六日付供述調書を各取調べ、H少年の昭和五四年少第二〇四一号暴力行為等処罰に関する法律違反保護事件記録、A少年の昭和五四年少第一九七四号恐喝保護事件記録、同年少第二三五一号窃盗保護事件記録(以下A別件記録という)を各取調べ、付添人提出の「○○○○○○」の伝票及び日報の各写、I作成の書面を各取調べた。
2 本件送致事実の要旨は次のとおりである。
少年らは暴走族○○○○連盟○○会○○「○」に所属し、少年D・Sは同会長として、少年N・Sは同行動隊長として、少年Y・Nは同親衛隊長として、少年D・Kは同行動隊、親衛隊副隊長としてそれぞれ行動しているものであるが、暴走族に対する警察の取締に反感を持ち、同副会長E、同会員F、同G、同Hらと共謀し、四輪及び二輪自動車に分乗し、
(1) 昭和五四年二月三日午後一一時一〇分ごろ、警察官不在中の大阪市大正区○○○○×丁目××番××号に所在する大阪府○△警察署○○○○警ら連絡所に至り、E他三名ぐらいが所携の石を投げつけもつて同連絡所の大型窓ガラス二枚を割り、修理金額一万五、〇〇〇円相当の損害を与え、
(2) 同日午後一一時二八分ごろ、警察官不在中の大阪市○○区○○×丁目×番××号に所在する大阪府○×警察署○○○派出所に至り、F他四名ぐらいが所携の懐中電燈、鉄パイプ、十手及び派出所備えつけの交通事故件数表示板並びに道路工事用安全柵等をもつて、同派出所のドア及び窓ガラス五枚を叩き割り修理金額三万一、四〇〇円相当の損害を与え、
もつて、数人共同して器物を損壊したものである。
右事実につき、少年らは、当審判廷において、それぞれアリバイ(現場不在証明)を主張し、本件とは無関係である旨供述して、上記事実を全面的に否認するので、右送致事実の存否につき判断を加える。
3 (証拠編略)を総合すれば次の事実を認め、又は推認することができる。
(1) 昭和五三年二月三日午後一一時一〇分ごろ、警察官不在中の、大阪市○○区○○○○×丁目××番××号に所在する大阪府○△警察署○○○○警ら連絡所の大型窓ガラス二枚が単車に乗つた数名の暴走族風の若い男に破損され、修理金額一万五、〇〇〇円相当の損害を蒙むつた。
(2) Jは、○○○○連絡所の向い隣にある独身寮の管理人であるが昭和五四年二月三日午後一一時過ぎごろ、右寮二階にいたところ、単車の爆音やクラクションの音を聞いて、すぐ、北側の窓を開けたところ、四〇〇CC位の単車が右連絡所前に運転者だけ乗り、エンジンをかけたまま止まつて、単車の後に乗つていた三~四人が単車から離れ、連絡所に近づき、その内の一人が懐中電燈の長い様な丸い物で連絡所正面ガラスを表から叩き割つたのを目撃した。
(3) 襲撃した者達は東の方へいつたん逃げ、また、連絡所の方へ戻つてきた。
(4) Jの記憶によれば、先頭の運転していた男は頭に白いハチマキをしており、他の男達は黒つぽい皮ジャンパーを着た者が主で、一二~三人の中に一人だけ工事人夫がかぶるヘルメットをしていた。
(5) 上記襲撃により、連絡所の表ガラス戸の窓ガラス二枚が連絡所の内側に押し倒され、内部にガラス片が散乱していたところ、右破損は、内部に落とされた際、机並び床下に当つた衝撃によるものと推認される。
(6) なお、前記実況見分調書(二月三日午後一一時二五分から同月四日午前〇時二〇分まで行なわれた)には、連絡所周辺又は内部において、石等が発見されたとの記載はなく、前記ガラスの破損が投石によるものとは認められない。
4 (証拠編略)を総合すれば以下の事実が認められる。
(1) 昭和五四年二月三日午後一一時二八分ごろ、警察官不在中の大阪市○○区○○×丁目×番××号に所在する大阪府○×警察署○○○派出所のドア及び窓の大型窓ガラス五枚が単車に乗つた暴走族風の若い男数名に破損され修理金額三万一、四〇〇円相当の損害を蒙むつた。
(2) K子は、風呂屋に行く途中、○○○派出所北側道路の北端で、右派出所襲撃を目撃し、その状況は、「単車七~八台が上記時刻ごろ、○○○派出所の前に止まり、北から二番目か三番目に止まつた単車に乗つた二人が、エンジンをかけたまま、駐車させいきなり派出所の方へ走つて行き、どちらかが、懐中電灯を派出所の窓ガラスに向つて投げ、窓ガラスを割つた。そして、二人はいつたん単車に逃げ帰つたが、再び派出所の前まで来て、それぞれ、派出所備え付けの交通事故件数を表示する黒板と、派出所前に置いてあつた道路工事用安全柵でガラスを割つていた。」というものである。
(3) ガラスを割つた男のうち一人は白つぽい服を着ており、また、ほとんどの者が白地に黒色で文字を書いたハチマキをしており、赤色のヤッケを着た者もいた。ほとんどの単車のナンバープレートは折り曲げられて、読みとれなかつた。
5 各少年の上記送致事実に関する供述は以下のとおりである。
(1) D・S少年は、本件送致事実につき、昭和五四年二月二二日通常逮捕された際及び同日付弁解録取書においては否認していたが、同日付司法警察員に対する供述調書、同月二三日付検察官に対する弁解録取書、同日の当裁判所における勾留質問、同月二五日付司法警察員に対する供述調書、同月二六日付司法警察員に対する供述調書、同年三月一日付司法巡査に対する供述調書、同日付検察官に対する供述調書においてはこれを認め、同月六日、当裁判所調査官の調査の際再び否認し、以後当審判廷においても否認している。
(2) N・S少年は、本件送致事実につき、昭和五四年二月二二日通常逮捕された際も、同日付弁解録取書においてもこれを認め、(但し、本人は当審判廷においては、逮捕されてから三時間ぐらいは否認していた旨述べている)、同日付司法巡査に対する供述調書、同月二三日付検察官に対する弁解録取書、同日の当裁判所における勾留質問、同月二六日付司法巡査に対する供述調書(二通)、同月二七日付司法巡査に対する供述調書、同月二八日付司法巡査に対する供述調書、同年三月一日付検察官に対する供述調書においてこれを認め、当裁判所の観護措置の段階に至つて否認し、以後、調査、審判においても否認している。
(3) Y・N少年は、昭和五四年二月二三日通常逮捕された際及び同日付弁解録取書においては否認し、同月二三日付司法警察員に対する供述調書においては当初認めていたが後否認し、同月二四日付検察官に対する弁解録取書、同日付司法警察員に対する供述調書、同日の当裁判所の勾留に代わる観護措置における質問、同月二六日付司法警察員に対する供述調書(二通)においてはこれを認め、同月二七日付、同年三月一日付、同月二日付の各司法警察員に対する供述調書、同年三月五日付検察官に対する供述調書においては否認し、以後審判においても否認している。
(4) D・K少年は、昭和五四年三月六日、通常逮捕されてから一貫して本件送致事実を否認している。
(5) なお、本件送致事実の共犯とされる各少年については、
(イ) E少年は、各司法警察員に対する昭和五四年二月一九日付、同月二一日付、同月二二日付、同月二六日付、同月二八日付、同年三月一日付供述調書において、本件四少年がE少年とともに本件送致事実に加わつていたことを認めていたが、当審判廷において証人として取調べたところ、これをいずれも否認した。
(ロ) F少年は、各司法警察員に対する昭和五四年二月二五日付、同年三月一日付供述調書、司法巡査に対する同年二月二七日付供述調書において本件四少年がF少年とともに本件送致事実に加わつていたことを認めていたが、当審判廷において証人として取調べたところ、これをいずれも否認した。また、同人の司法警察員に対する同年二月一六日付供述調書においては、同少年は参加しなかつたが本件四少年らが、本件送致事実に加わつていたようだと供述している。
(ハ) G少年は、司法警察員に対する昭和五四年二月二四日付供述調書においては否認していたが、司法警察員に対する同月二五日付供述調書においてはG少年とともに本件四少年が本件送致事実に加わつていたことを認め、当審判廷において証人として取調べたところ、これをいずれも否認した。また、同人は、右証人尋問において、二月二八日、○×警察署に赴き、本件送致事実には加わつていない旨申し立てたと供述し、前記E少年の二月二八日付調書においてその旨の記載がある。
(ニ) H少年は、司法警察員に対する昭和五四年三月六日付供述調書において、H少年とともに本件四少年が本件送致事実に加わつたことを認めている。
6 次に、前記各少年らの自供調書につき、その内容を詳細に検討する。(以下、員面とあるは司法警察員に対する供述調書、巡面とあるは司法巡査に対する供述調書、検面とあるは検察官に対する供述調書をさす)。
(1) 派出所襲撃の謀議に関して
(編略)
(2) 派出所襲撃に参加した者の服装等について
(編略)
(3) 派出所襲撃に参加した単車について
(編略)
(4) ○○警察署○○○警ら連絡所襲撃の実行方法について
(5) ○○○派出所襲撃の実行方法について
(編略)
7 以上の各少年らの自供の信用性につき考えるに、
(1) 派出所襲撃の謀議に関する供述については、D・S、N・S、E(二月二八日以降の供述)各少年の供述は一月二六日△△△△で派出所襲撃の話が決まつたことで一致しているが、その詳細についてはそれぞれ食いちがう点もあり、また、右一月二六日の謀議自体、F、G少年の供述と食いちがい、更に、E少年の供述は次々と変遷し、それ自体信用し難く、結局、派出所襲撃の謀議に関する少年らの前記各供述は信用性がないといわざるを得ない。
(2) 参加した者の服装等に関しての供述については、部分的に一致するところはあるが、ハチマキをしていた者、ヘルメットをかぶつていた者が誰かという点については各供述がくいちがい、また、その他、応援にきた者についてもD・Sは「L(本件に参加していない)が連れてきた者かもしれない」(二・二三付員面調書)、Eは「誰が連れてきたかわからない」(二・二八付員面調書)と結局誰が連れてきたものか全く不明であり、さらに、応援に来た者の髪型等も両人の供述はくいちがいをみせ更にK子の供述とも矛盾し、前記のように詳細な供述がなされ、かつ、記憶が鮮明でない点を考慮に入れても、結局信用性に乏しいといわざるを得ない。なお、少年らは当審判廷において、右詳細な服装等の供述については、普段に走るときの服装を述べたものだと供述している。
(3) 参加した単車に関する供述について検討する。
(イ) N・S少年の単車について
(i) 司法巡査作成の昭和五四年三月六日付「暴力行為被疑者N・Sの供述に対する裏付捜査について」と題する書面、同Aの昭和五四年少第二三五一号、少年保護事件記録によれば、N・S少年はその所有するホンダCB四〇〇赤色○み××-××号(以下N・S単車という)をD・K少年に貸したところ、同少年は昭和五四年一月二八日午後六時三〇分ごろ、大阪市西成区○○○×丁目×番×号先路上を走行中、×××のグループであるA、M、Cらにとり囲まれてこれを窃取され、同単車は二月五日大阪市住之江区○○×丁目×番××号先路上に放置されていたのを△△警察署員に発見され、二月六日、N・S少年に還付されたことが認められる。
(ii) ところで、N・S少年は二・二八付巡面調書で「一月三一日にN少年からN・S単車を知らない者が乗つて○○中学校を通つていたとの話を聞き、二月一日、○○中学の東側公園南の方の路地にあつたのを発見し、キーがなかつたので直結にして、自分のマンションに持つて帰り、二月三日朝これを自宅の近くの○○モータープールに持つていき、その晩これを運転して事件を起こした。事件後自宅へ帰つてからすぐこれを住之江区の病院の前(前記捜査報告書によれば住之江区○○○○×丁目×番××号大阪市立○○○○病院前路上)に捨てた」と供述する。
(iii) しかしながら、上記供述は以下の点で措信し難い。即ち、A少年は別件記録中三・一〇付員面調書で「D・Kからとつた単車はOが主に乗りまわし、自分の住んでいた○○○○荘の裏の路地に置いていたが一週間位でなくなつた」旨供述し、また、単車発見の場所は前記のとおり、A少年の当時住んでいた住之江区○○町のアパートの付近であり、さらに後記のとおりC少年は当審判廷において、OがN・S単車に乗り、二月三日の派出所襲撃に参加したと証言しており、N・S単車は少なくとも二月四日ごろまではAら×××グループのもとにあつたことが十分推認されるものであるからである。
(ロ) B少年の単車について
(i) B少年の二・二六付員面調書、三・三付巡面調書、及び同人の当審判廷における供述、D・S少年の三・一付巡面調書によれば、一月二七日朝、Bはその単車(スズキGS四〇〇水色、六連ホーン付、集合マフラー、○み××-××号以下B単車という)の後部にD・Sを乗せ走行中、×××のグループに止められ単車を貸せといわれ、D・Sがチーム名を聞き、×××だと答えたので、×××ならPを知つているとD・Sが言うと、Pに返しておくからと単車を持つて行かれたが、Bは二月八日か九日ごろ、Y・Nにガソリンスタンドの近くに単車が放置されている旨聞き、その翌日D・Kと一緒に取りに行つたことが認められる。
(ii) B少年は三・一付巡面調書で「自分の単車を二月三日Y・Nに貸した」旨供述し、Y・N少年は二・二六付員面調書で「二月三日午後一〇時前Bのアパートへ行つてBの単車を借りて事件に参加した」と供述している。
(iii) B少年は前記(i)記載の調書及び当審判廷における供述ではY・Nに単車を貸したことを否認し、Y・N少年も前掲供述以外これを否認している。
(iv) そこで検討するにC少年は三・一五付員面調書及び証人として当審判廷で「M、O、Q子がPの友達から借りてきたと言つていたスズキGS四〇〇(水色、タイヤのキャスティングも青色、六連ホーン付き、集合マフラー)に乗つて、二月三日の派出所襲撃に参加した」旨供述し、A少年も三・一六付員面調書及び証人として当審判廷で「Cは水色のGS四〇〇、六連ホーン付きの単車で二月三日の派出所襲撃に参加した」と供述している。B単車は六連ホーン付、タイヤキャスティングも水色の極めてまれな単車であること、A、Cはいずれも×××の一員であること、前記Bの単車が×××に持つていかれた経過、更に、後記の如くA、Cが本件各少年らと鑑別所内で通謀する可能性は考えられないことを考えれば、B単車は二月三日にはCら×××グループのもとにあつたことが推認され、Y・N少年が事件当日B少年よりその単車を借りたとの前記供述は信用できないものである。
(ハ) 以上のことを総合考慮すれば、参加した単車及び乗つた者の組み合わせにつき各少年の自供に一致する点があるとしても、二月三日当時N・S単車及びB単車は本件少年らのもとに存在しなかつたと推認されること、また、応援の単車の種類、台数、人数についても供述にくいちがいがあることからも、右各少年らの供述には信用性がないといわざるをえない。
(4) ○○○○連絡所襲撃に関する供述について検討するに以下の疑問点が存在する。
(イ) 各少年ら(D・Sを除く)はいずれも石でガラスを割つた旨供述するが、前示2の事実からすればガラスが石によつて割られたものでないことは現場の状況等から明らかである。なお、F少年はEが鉄パイプを用いた旨供述するが、Eの供述(二・二八付員面調書)によれば同人は鉄パイプを持つてきていないし、D・S少年は石を投げたが割れなかつた旨供述するが、前掲実況見分調書によるも、連絡所周辺に投石された石は残つていない。
(ロ) 各少年ら(Y・N、Eの二・二八付員面調書)の供述では、○○○○連絡所の前を西から東へいつたん通りすぎユーターンして、その前に止まり、ガラスを割り、西方向へ逃げたことになるが、前掲Jの供述では襲撃した者らはガラスを割つた後東へ逃げ、再び戻つてきて西へ向つており、この点一致しない。
(ハ) 前記Y・N少年の供述では逃走経路が他の少年と全く一致しない。
(ニ) E少年の二・二八付員面調書の供述では他の少年らの逃走方向と正反対の方向に向つたことになる。
(5) ○○○派出所襲撃に関する供述について検討する。
(イ) 少年らの供述は襲撃にD・Sが懐中電燈及び十手を、E、Fが道路工事用安全柵を、D・Kが派出所備え付けの黒板を使つたことについてほぼ一致し、この実行方法は前示3の派出所襲撃に使用された道具と一致し、またY・Nが最初派出所に偵察に行つたことでもほぼ一致している。
(ロ) しかしながら、少年らの供述には、
(i) 前示2の事実によれば、実行行為者は二名であるが供述ではN・Sを除く、少なくとも七名が実行行為に及んだことになつていること、
(ii) 前掲K子は二・六付員面調書で「単車を止めて二人がいきなり派出所へ走つて行き、何か物を投げつけた」と供述し、少年らの最初にY・Nが偵察に行つたとの供述とくいちがうこと、
(iii) 最初にガラスを割つたのはD・SかY・Nかで供述にくいちがいがあること、
(iv) 止まつた単車の順序にくいちがいがあることの疑問点が存在する。
(6) 以上のように、前記少年らの自供には信用性に乏しい箇所があり、また、いくつかの疑問点も存在すること、更に、襲撃用の石を拾つた場所及び○○○派出所襲撃後の行動についても各少年に供述のくいちがいないしは変遷がみられること、後記のように一応アリバイの疎明があることを考えると、後記C少年、A少年の供述に比し、派出所襲撃に関しては信用性に乏しいものと認めざるをえない。
8 少年らのアリバイについて
(1) D・S少年
同少年は当審判廷で「二月三日午後七時ごろBのアパートへ行くとN・Sが来た。ディスコへ行こうと言われたが断わり、七時一五~二〇分ごろ一人で××へ行き九時まで××にいた。××を出て中華料理店○○に行き、その前でY・N、Lに会い(Y・Nは五〇CCの単車、LはスズキGS四〇〇)、○○神社の前で九時過ぎごろ、三人で立話をしていたら○○署のパトカーに職務質問をうけた。一〇時すぎに家に帰り、一一時までテレビをみて、それから「○○」に食事に行き、カキ雑炊とギョーザを食べた。一一時五〇分頃「○○」を出て一二時すぎに家に帰り、母親と話をして、翌日午前一時ごろ寝た」と供述している。
(2) N・S少年
同少年は当審判廷で「二月三日午後六時四〇分ごろ仕事から親方(R)の家へ帰り、給料をもらつてそこを出た。給料を渡しに家へ帰り、七時一〇分か一五分ごろBのアパートへ行くとD・Sがいた。そしてD・Sが帰り、D・Kと会い、B、D・K、自分の三人で自分の○○のアパートに行き、風呂屋に
行き、またアパートへ帰つた。それから九時ごろディスコ「○○○○」に行き、午前一時ごろ「○○○○」を出て、D・Kと別れ、「○○○○」で知り合つた女の子、B、自分の三人で歌舞伎座の裏にある「○○○○○○」へ行つた。そこでEと会い、翌日朝五時ごろまでいた」と供述している。
(3) Y・N少年
同少年は当審判廷で「二月三日は夜七時三〇分ごろまでガソリンスタンドで働き、それからLと一緒に単車(LはスズキGS四〇〇、黒色、Y・Nは五〇CC)でSを大阪駅に送り、同駅に八時三〇分頃着き、帰る途中D・Sと会つて話をしたがその時○○署のパトカーに調べられた。そしてLと帰り、自宅に九時一〇分ごろ着いたが、Lが風呂に誘いにきたので九時三〇分ごろ風呂屋に行き、一〇時にそこを出て、一〇時一〇分頃自宅へ帰り、テレビをみて、一一時三〇分ごろ寝た」と供述している。
(4) D・K少年
同少年は当審判廷で「二月三日夜六時三〇分ごろ仕事を終え、N・Sと一緒にRの家へ七時ごろ着き夕食を食べ、九時ごろN・SとBのアパートに行つた。そこに、D・Sがいたのでディスコに誘つたが、D・Sはこれを断わつて先に帰り、自分はN・S、BとN・Sのアパートへ行き、三人で風呂屋へ行つた。それから、三人で地下鉄で九時四五分ごろ難波へ行き、ディスコ○○○○へ入つた。ここで、二時間位いて出て、自分は足が痛いのでタクシーでN・Sのアパートに帰り、〇時四五分ごろ着き、翌日午前一時ごろ寝た」と供述している。
(5) E少年
同少年は、当審判廷で証人として「自分は、二月三日夜九時ごろ、歌舞伎座裏の○○○○○○に行き、翌日朝五時ごろまでいた」と供述する。
(6) 以上の各少年らの供述について検討するに、
(イ) D・S少年につき、同少年が二月三日午後九時三〇分過ぎごろY・N、Lと○○神社にいたところ○○署のパトカーに職務質問されたことは、当裁判所調査官の○○署に対する昭和五四年三月八日付電話聴取書(D・S少年の社会記録に添付)によれば事実であり、また、同少年が午後一一時三〇分ごろ、中華料理店「○○」にいた旨の同店I署名、捺印の申立書(当裁判所調査官の三月一七日付電話聴取書D・S少年の社会記録に添付によれば、右申立書は本人の自筆、捺印によることが確認された)も付添人より提出され、以上の事情を勘案すれば、同少年のアリバイは一応疎明されたものといえる。
(ロ) N・S、D・K少年については、B少年は当審判廷において、二月三日の午後九時ごろから翌日午前五時ごろまでの行動につき、N・S、D・K少年とほぼ同様の供述をなし、また、証人Dの当審判廷における供述及び付添人が提出した○○○○○○の二月三日の伝票及び日報の写によればE少年が二月三日夜九時すぎ二人連れで○○○○○○に来店し、翌日午前五時頃までいたこと、N・S少年が二月三日から四日にかけての夜○○○○○○に来店したことが認められ、N・S、D・K、B少年の前記各供述及びD・K少年の三・一〇付員面調書における供述は時間の点で若干相反していること、B少年は本件少年らと同じ暴走族グループにいたことがあり、E少年はD・S少年らの共犯とされていることを考慮しても、前記認定の事実からすれば、N・S、D・S少年につき一応アリバイの疎明があるものと認められる。
(ハ) Y・N少年については、同少年の母Y・T子は証人として当審判廷で前記Y・N少年と同様の供述をなしているところ、右各供述ともY・N少年の二・二七付巡面調書、三・一付員面調書における供述、Y・T子の二・二八付員面調書における供述と若干くいちがいがあり、また、両人の関係を考慮すれば、両人の当審判廷における各供述をにわかに措信することはできないが、アリバイにつき、一応の疎明があるといえないこともない。
9 C少年及びA少年の各供述について
(1) C少年は、証人として、当審判廷で「二月三日夜に○△の派出所及び○×の派出所を自分の所属する暴走族グループ×××Pらと一緒に襲撃しガラスを割つた、その際にD・S、N・S、Y・N(当審判廷に在廷していた以上三名を指して供述した)はいなかつた」旨供述し、その供述する地理関係から、右○△の派出所とは○△警察署○○○○連絡所を、○×の派出所とは○×警察署○○○派出所をさすものと認められ、また、三・一五付員面調書でも「○△及び○×の派出所を自分の所属する暴走族×××グループと一緒に襲撃しガラスを割つた」旨供述する。
(2) A少年は証人として、当審判廷で「二月三日夜、自分の所属する暴走族×××グループが○△の派出所を襲つてガラスを割つた、自分はガラスを割つた現場は見ていないが、一緒に走つていたCらがやつたと思う、その際D・K(Aの証人尋問の際当審判廷に在廷していたD・K少年を指して供述した)はいなかつた、自分は○×の派出所の方へは行つてないが、後からアパート(当時Aが住んでいた住之江区○○町の○○○○荘)に帰つてきたCとTが、今○×の派出所をいてもうてきたと言つた」旨供述し、三・一六付員面調書でもほぼ同様に(○△の派出所襲撃につき、単車に乗つていた者が石を投げてガラスを割つていたのを見ていたと供述している点は異なる)供述している。
(3) そこで、上記各供述につき検討するに、
(イ) C少年は当審判廷における供述及び前掲調書で○×の派出所を襲撃した際、南側に向つて道路の左側で風呂帰りのようなおばちやんが見ていたと供述し、目撃者たるK子の存在を確認していること、
(ロ) C少年は当審判廷における供述及び前掲調書で水色の六連ホーンのスズキGS四〇〇に乗つていた旨供述し、これはA少年の当審判廷における供述、前掲調書における供述と一致し、その供述する特徴からしてこの単車は前記Bが×××グループに持つて行かれた単車と認められること、
(ハ) C少年の前掲調書における供述、A少年の当審判廷における供述、前掲調書における供述によれば、○○○○連絡所でガラスを割つた後東方向へ行き、右折したが行き止まりのためユーターンし、再び同連絡所の前を西方向へ行つたと考えられるが、これは現場の地理またJの二・三付員面調書及び三・一七付員面調書における襲撃した者達の襲撃後の逃走方向の供述と一致すること、
(ニ) C少年の前記各供述、A少年の前記各供述における襲撃に参加した者の氏名、乗つた単車の種類がほぼ一致すること(PはヤマハRD四〇〇、ネズミ色で後にUを乗せ、VはカワサキKH四〇〇、赤色に一人で乗り、TはカワサキZ四〇〇縁色で後にQ子を乗せていた、他に乗用車が一台)、
(ホ) C少年の当審判廷における供述、A少年の前掲調書における供述で○○○橋の付近で単車と乗用車が一緒になり一緒に大正区内を走つた旨の供述が一致すること、
(ヘ) C少年は当審判廷における供述及び前掲調書において、○○○○連絡所でガラスを割つたことにつきその方法はともかくとして、窓ガラスは外枠とともに連絡所内部に落ちこんだ旨供述し、これは、現場の状況と一致すること、
(ト) Uは三・一六付員面調書において派出所襲撃については否定しているが二月三日夜×××グループとともに大正及び西成方面を暴走したことは認め、そのメンバー、単車等は、前記(ニ)とほぼ一致すること、
が認められるところ
(4) 司法警察員作成の昭和五四年三月一七日付「暴力行為等処罰に関する法律違反被疑者として取調中の○○ことCの供述内容の矛盾点ついて」と題する書面でC少年の前掲調書における供述の矛盾点なるものをいくつか挙げているので検討するに、
(イ) 前記書面1の犯行日に関してC少年の供述が二月初め頃の日曜日か月曜日となつているから矛盾するとの指摘は、C少年の当審判廷における供述、A少年の前掲各供述からみて問題にならず、
(ロ) 同2(1)の○○○○連絡所襲撃の際の服装等に関してC少年の供述が全員ノーヘルメットでハチマキをしていたとなつていることはJの前掲各供述と矛盾するとの点は、
(i) C少年は当審判廷においては、メンバー中、Oはヘルメットとハチマキをしていたと供述していること、
(ii) 上記Jの襲撃した者たちがヘルメットをかぶつていたかどうかの点に関する供述は極めてあいまいであること、
(iii) K子の二・六付員面調書によれば、同人は○×の派出所を襲撃した者たちはほとんどハチマキをしていたと供述していることを考えれば、C少年の供述の信用性を左右するほどの矛盾点とはいえず、
(ハ) 同3(1)の両派出所を襲撃した時刻に関してC少年の供述は○○○○連絡所は午後九時頃、○○○派出所は午後一一時頃となつており、事実と矛盾するとの点、同(2)の○○○○連絡所襲撃から一時間以上も大正区内を走つていれば襲撃後すぐに実施された緊急警戒にかかるはずであるが○△警察では容疑車輛の発見に至つておらず事実と矛盾するとの点は
(i) C少年が前掲調書で、A少年が当審判廷で供述するように、当日の時間についてははつきりわからず少年らの時間についての供述は当人の推測によるものでしかないこと、
(ii) C少年は当審判廷では、夜八時ころ○○○公園に集まり、一時間位して走ることになり、○○ランプで再び集まることにし、○○ランプを出て○○○橋のところで乗用車と会い、また一時間位走つて、○△の派出所に至つたと供述していること、
(iii) C少年は当審判廷で、○△の派出所襲撃後パトカーに追いかけられ、単車と乗用車は散り々になつたと供述し、前記緊急警戒にかかつたとも考えられること、
を考え併せれば、これらも、C少年の供述の信用性を左右するほどの矛盾点とはいえず、
(ニ) 同4の○○○派出所襲撃の実行方法に関してC少年の供述では、工事用安全柵のみを使つてガラスを割り、またそれは派出所の中に投げ入れるようにして、そのまま逃げたとなつており、襲撃に使つた道具及び放置状況が事実と異なる矛盾点があるとの点については、C少年は当審判廷では「派出所を通りすぎ、後がついてこないので戻つてみると派出所が無茶苦茶になつていた」と供述し、目撃者K子の位置関係及び前示のとおり、C少年もK子を見ていることを考えるとC少年の当審判廷における供述の方により信用性があり、C少年はガラスを割つたことについては直接見ていないものとうかがえるので、C少年の前記調書における供述が信用できないことになり、矛盾点とはなりえないといわざるをえず、
(ホ) 同5のN・S、D・S少年とC少年が鑑別所内で通謀した疑いがあるとの点については、昭和五四年三月一六日付大阪少年鑑別所長作成の回答書によれば、三月五日から同一二日までの間、D・S、N・SとC少年は集団運動時、入浴時に一緒になつたことがあることは認められるが、同回答書及びA少年の当審判廷における供述によれば、入浴時、集団運動時とも一言、二言ぐらいは話すことができるが職員三名ないし四名が常時監督、指導に当つており、こみ入つた話をする機会は全くないことが認められ、また、C少年は、当審判廷で派出所襲撃のことは、二月一九日に逮捕され、二日位して△△署の取調官に言つた」旨供述していること、A少年の別件記録中の同人の二・二七付員面調書によれば同日A少年は余罪として○×の派出所襲撃を取調官に申し立てていることも考えると、上記のような推測は全く根拠がないといわざるをえない。
(5) したがつて、C、A少年の前示(1)の供述は、○○○○連絡所の襲撃方法に若干疑問があり、また、当審判廷でC少年は前記押収物たる懐中電燈は全く知らないと供述する点など、多少の疑問点もあるが、本件各少年らの前記自供調書の供述に比べれば、より信用性があるものと認められる。
(6) なお、C少年は昭和五四年八月二九日付の司法警察員に対する供述調書において、V少年は同月二七日付の司法警察員に対する供述調書において、いずれも「×××グループは本件派出所襲撃はやつていない、×××の名をあげるため虚偽の供述をしていた」旨供述するが前示のような事情を考慮し、更に、その右虚偽の供述をするに至つた動機自体不自然であること、C少年の当審判廷における供述態度はごく自然であり、虚偽の供述をなしているとは認められなかつたことを考えれば、C少年及びV少年の上記各供述は信用し難い。
10 また、押収してある各証拠物について考えるに、遺留品たる懐中電燈については、各司法警察員作成の昭和五四年二月二六日付「現場指紋対照照会の結果について復命」と題する書面、同年三月二五日付「○○○派出所襲撃事件発生に伴なう遺留指紋の措置状況について」と題する書面によれば、右懐中電燈内の電池二個より採取された指紋は不鮮明であるためD・S少年の指紋とは照合できなかつたことが認められ、また、D・S少年は当審判廷で右懐中電燈は全く知らないと供述し、E少年の前記懐中電燈はD・Sのものであるとの供述も、前記のとおりその供述自体信用性が乏しいことを考えると、右懐中電燈は、本件各少年らの送致事実を認めるに足る証拠資料とはなりえず、また、他の証拠物についても、前記のとおり各少年らの自供が信用性に乏しいことより、本件各少年らの送致事実を認めるに足る証拠資料とはなりえない。
11 以上の次第で、D・S、N・S、Y・N、D・K各少年につき、同人らが送致事実記載の暴走族グループに加入していたことは関係各証拠により明らかであるが、派出所襲撃については、その自供調書に信用性がなく、かつ共犯とされるE、F、G各少年の自供調書も信用性がなく、他にこれを認めるに足りる証拠もないので証明不十分といわざるをえず、かえつて前記の事情からは本件各少年らは本件派出所襲撃には無関係であるものとうかがえるので、非行なしと認め、要保護性について調査、判断するまでもなく、本件につき少年らを保護処分に付することはできないので主文のとおり決定する。
(裁判官 福島節男)